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2008年5月2日

臨海部新産業誘致地区、神奈川口「連絡道路」候補地、大田区「羽田空港跡地利用計画」等を視察


2008,05,02, Friday

2008,05,02, Friday

4月24日(木)、日本共産党川崎市会議員団は、川崎臨海部開発・新産業誘致地区の現状、および、羽田空港神奈川口「連絡道路整備計画」と大田区の「羽田空港跡地利用計画」に関する視察調査を行なった。
10人の市会議員全員(竹間幸一、市古映美、佐野仁昭、宮原春夫、石田和子、斉藤隆司、石川建二、井口真美、勝又光江、大庭裕子)と、政務調査員3人が参加した。
一行は午前中に水江町公共用地、東扇島、羽田連絡道路有力候補地を視察、午後は大田区役所で日本共産党大田区議団、大田区経営管理部と懇談・説明・質疑の後、羽田空港D滑走路建設現場展望台にて説明を受け視察した。
●企業誘致のために248億円もかけて購入した水江町公共用地
9時20分に市役所前を出発、最初に市が2008年度予算で248億円もかけて購入する、臨海部の水江町公共用地を視察。第6区画まであり、第1~第3区画が企業誘致の対象地域で、延べ4万8千平方メートル、その広さに参加者一同は唖然となった。かつて高速川崎縦貫道路の代替地でもあったこの土地は、つい最近まで、資材置場などとして中小企業など24社に貸し付けられ、大部分が活用されていたが、市の予算が通ったとたん、すべての会社が退去させられ、広大な空き地となっていた。次の行き場に困った中小企業もたくさんあったといわれている。
第2区画の海側に面した別の土地は、大型ドッグを埋めた土地を日立造船が倉庫会社に売って大儲けしたところで、現在、巨大な物流倉庫の建設中だった。そこへの取り付け道路をつくるために、第2区画を削って生みだした細長い第4区画を市が倉庫会社に払い下げたとのことで、取り付け道路には工事車両が並んでいた。宮原議員は「日立造船がいらなくなった土地を倉庫会社に売って儲けるために、倉庫建設のために市の公共用地を削って企業に売ってしまう、そういう大企業奉仕をやっています」と解説していた。
すでに市は「川崎区水江町土地企業進出者の募集について(平成20年6月30日締め切り)」として、同用地を貸し付ける企業の募集を開始。応募者は「日本標準産業分類の製造業に該当し、国の科学技術基本計画の重点推進4分野(ライフサイエンス、情報通信、ナノテクノロジー・材料)又は推進4分野のうちエネルギー、製造技術分野の研究開発及び製造を当該地で自社事業として行なう事業者」とされています。
(賃料は、水江町(1)区画8011㎡が月額240万円、(2)区画2万1112㎡が640万円、(3)区画1万9055㎡が577万円。(1)(2)区画、(2)(3)区画、全区画のセット販売も)
●この日も見た「船の来ない港」「車の通らない高速道路」
そのあと一行は、市内で初めての人工海浜・砂浜がつくられ、26日のオープン記念行事の準備が進められていた東扇島東公園と、1基16億円のガントリークレーンが“あくび”している“船の来ない港”(KCT=川崎港コンテナターミナル)やファズ物流センター前を通過。ここも新産業誘致地区とされた、いすゞ自動車工場跡地など殿町・大師河原地区、羽田空港神奈川口構想の「連絡道路」整備の最有力候補地とされている多摩川

河口上流部に向かった。

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その道程で、湾岸道から「車が通らない高速道路」といわれる、1メートル1億円の高速川崎縦貫道路を走ったが、やはり前方・後方とも自分たちが乗るマイクロバス以外には走る車はない。ようやくワゴン車が1台追い越していった。縦貫道を出ると、それと交差する殿町・夜光線は大型トラックがたくさん走っていたが、これに羽田への「連絡道路」をつなげる案が出ている。

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●住宅密集地にひっかかり、貴重な干潟を破壊する『羽田連絡道路』候補地
いすゞ自動車工場跡地は、現在UR(都市再生機構)が保有し、三菱自動車の輸出用車両が大量に置かれていた。その殿町地域には現在も住宅・町工場等が密集しており、「連絡道路」を通すにも、現住民に立ち退きが強いられる地域であり、そのために何年・何十年かかるのだろうか。
東京湾に残る貴重な自然干潟の一つである「多摩川河口干潟」は、環境省の「日本の重要湿地500」及び「モニタリングサイト1000事業シギ・チドリ類調査地」に指定され、国土交通省により策定された多摩川水系整備計画でも「生態系保持空間」に位置づけられ、国際的な鳥類保護組織バードライフ・インターナショナルが選定した「重要野鳥生息地」にも指定されている。日本野鳥の会及び道神奈川支部が、神奈川口構想に際して、この干潟の環境保全を求める要望を神奈川県知事・川崎市長に再三提出しているのは当然のことだ。この日も、多摩川河口上流部の土手から、目の前に広がる干潟を見ると、白い野鳥が数多く飛来し、干潟に立って海で何かを採っているらしい住民の姿もあった。

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そして、対岸の羽田側(跡地利用計画の第1ゾーン)を眺めると、えびとり川河口から左側は住宅密集地だった。「連絡道路」を通そうとされている上流部は、川崎側も羽田側も住宅密集地付近で、両岸とも貴重な干潟の自然にあふれていた。数百メートル手前には新しい大師橋がかかっている。ここに約400億円もかけて新たな「連絡道路」を建設する計画が成り立つのか、その必要性と実現可能性が根本から問われるという実感を強くした。
●占領軍GHQに接収された町と土地~羽田住民の悲痛な歴史

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午後はまず、大田区役所で、共産党大田区議団と懇談した。同区議団から藤原幸雄団長、大竹辰治、和田正子、黒沼良光、清水菊美の各区議が対応してくださった。まず、藤原団長が、羽田空港と周辺住民の歴史、空港の現在と「跡地利用計画」に対する党の立場などを述べた。
羽田の歴史への認識と特別な思いは、党区議団、行政ともに共通のものだった。終戦直後、弁天橋を渡った羽田の地域には大田区民3千人が住む町並みがあったが、1945年9月21日、占領軍GHQが48時間以内に退去しろと命令し、住民らは強制退去され、非情な苦しみを味わった。藤原団長は「この地域はまだ戦後が終わっていない。空港の撤去決議をあげようと、住民が立ち上がった。いまでも、元の場所に戻りたいという思いがある」と話された。大田区役所の1階ロビーには、羽田空港の滑走路ができる前の町並みを再現した模型が展示されていた。一行は模型を食い入るように見つめ、そこに住民の生活があったという羽田の歴史を重く受けとめるには十分な模型だった。
藤原団長は、かつて200haを区民に解放すると約束されていたが、次つぎ約束が縮小され、いまは53haまで縮小された経過を説明した。区議会で元羽田空港対策委員長を務めたこともある黒沼区議は、「連絡道路は全会派そろって断固反対だ。大田区が使えるのは第一ゾーンの17haくらいで、上流部は完全にぶつかってくる。こんなところに橋をかけられたら、とんでもないという思いだ」「53haに減らされ、ここだけは守らないといけないという点で一致している。連絡道路は、頭から湯気が出るくらい怒り心頭する話だ」と語気を強め、地元選出の清水議員は「第1ゾーンに連絡道路がくるのは、とてとても許しがたい行為です」と述べた。
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●「連絡道路がなぜ必要なのか、大田区は納得できない」と区担当者
この後、大田区経営管理部・空港臨海担当課の職員からのレクチャー、聞き取りを行なった。議会事務局の調査担当係長が丁重な歓迎のあいさつを述べ、竹間団長が「連絡道路」問題の経緯と視察の目的を述べた。
空港臨海担当課長が、今年3月28日に国・都・大田品川の3者協が基本合意した「羽田空港跡地利用基本計画」の概要を説明。「多摩川河口の連絡道路の上・中・下の3ルート橋梁案に大田区は重大な関心を持っている」と述べ、すでに「神奈川口構想における連絡路に対する大田区の基本的考え方」をお示ししているが、羽田の跡地利用の阻害にならないように、大田区の跡地利用計画と整合性を図り、大田区をすり合わせて計画を進めてほしいと申し上げてきた。大田区長も「(連絡道路は)大きな阻害要因になる」と議会答弁させていただいていると述べた。
竹間団長の「平成17年10月に大田区の基本的考え方で阿部市長に申し入れしているが、今回、概略ルートが発表されたことを受けて、新たな申し入れなど今のうごきはどうか」の質問に、大田区理事者は「何らかの申し入れをするために準備をしている。遠くない時期に私どもの考えを出したい」と述べた。また、竹間議員が「川崎市当局は、大田区側が連絡道路を位置づけてくれていると説明していたが」と聞くと、大田区理事者は「別途検討されているという客観的事実を表示した」と述べたうえで、「申し上げれば、連絡道路がなぜ必要なのか、必要性の是非が論議されていないのが問題だ。国道357を棚上げして、なぜこっちが必要なのか、明らかに必要性がない。将来の需要予測などデータも示されていない。大田区は納得できない」と述べた。
佐野議員が「上・中・下流部それぞれの可能性はどうか」と質問すると、大田区理事者は「上流であれば跡地利用に支障となる。下流になれば国際貨物にぶつかる。中流部は空港連絡道路に一般車両を入れたら空港に影響があり、国が反対している」と述べた。結局、川崎側でいえば上・中・下流のすべての地域で、その対岸に位置する第1~第3ゾーンに接続するのがむずかしく、「連絡道路」をかける場所がないことが明らかとなった。
石川議員が、「連絡道路は都市計画手続き上、地元区が反対してもつくれるのか」と聞くと、大田区理事者は「地元区の審議会にかけてダメといわれたらどうなるかわからない」と述た。
最後に、佐野議員が「税金のムダづかいという点でも、干潟などの環境破壊という点でも、また、逆に羽田側からの新たな自動車公害の呼び込みという点でも、私どもは反対の立場です」と述べた。

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●川崎市が100億円無利子貸付する新滑走路建設を見学
この後、一行は再びバスに乗り込み、党大田区議団の藤原団長、清水区議のガイドで、羽田空港に向かった。住宅密集地を過ぎて弁天橋を渡って空港島へ。その付近が跡地利用計画の第一ゾーン、かつて住民が強制退去させられた町並みがあった地域だ。その地域に沿って流れる、えびとり川周辺は映画「釣りバカ日誌」で主人公のハマちゃん(西田敏行)が住んでいる設定の地域で、川には小さな釣り船がたくさん係留されていた。川崎市側から、こんなところに巨大な橋が架けられるのは御免だという思いは当然だろう。
一行を乗せたマイクロバスは、第2ゾーンに差し掛かり、場内道路である空港連絡道路を横目に見ながら下流域へ。そして空港ターミナルをグルッとくぐって、島の端には新滑走路(第4、D滑走路)の建設現場を見学し、説明を受けられる、NPO法人の事務所・展望台が設置されていた。2階のミニシアタールームで、新滑走路建設の工法などを説明するビデオを見たあと、3階の展望室へ。実際の建設現場を眺めながら、事務所スタッフから詳しい説明を受けた。

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沖合に建設中に第4滑走路は、桟橋部と埋立部を接続して長さ2500mとなる日本初の複合構造で、総事業費は約6000億円。この国の事業にお川崎市も「連絡道路」など神奈川口構想を前提に100億円の無利子貸付を行なう約束で、2008年度まで75億円を予算化しているが、その新しい滑走路の建設工事、巨大プロジェクトの様子を目の当たりにした。
多摩川の流れを堰き止めないために、河口側は埋立でなく桟橋構造に。現空港と結ぶ連絡誘導路橋(620m)も桟橋構造で、その下は小型船舶が通過できる。50haという広大な桟橋部分の滑走路は、杭を海底下70mの深さまで地盤に打ち込み、その杭に鋼製のジャケットを被せ、固定する工法。使用される鋼材重量は、連絡誘導路橋の部分で約8万トン、桟橋部分で約35万トンとされ、JFE(日本鋼管)、新日鉄など鉄鋼大手企業にとって大規模な受注機会となっている。
雨足が強くなるなか、一行はバスに乗り込み、帰路に着いた。川崎市役所に到着したのは、予定通りの午後5時だった。