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2012年8月1日

福島県への視察【2】 相馬市の障がい者支援NPO、農民連との懇談


NPO法人『ひまわりの家』(相馬市)

県庁での日程を終え、相馬市にある特定非営利法人『ひまわりの家』を訪れ、前理事長の村松恵美子相馬市議(日本共産党)と懇談しました。
村松市議は、議員活動をするなかで、「精神障がいの人の行き場がない」と痛切に感じ、13年前にこの事業を始めたと話します。グループホーム、ヘルパー事業所、介護タクシーなどを運営するNPOで、理事長は降りているが現在も精力的に運営にかかわっているそうです。以下、村松市議との懇談の内容です。

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震災後「薬が手に入らない!?」

相馬市には精神科の医療機関がないため、南相馬、原町、小高(いずれも南相馬市)にみんな通っていた。
原発事故で避難指示が出る中、3月14日には病院そのものの存続ができなくなったが、私たちもその状況がつかめず、病院まで行った利用者から「閉まっていた」と聞いて事態を把握した。
なんとか薬を出せるようになっても、相馬の薬局には精神科の薬は置いておらず、病院にも睡眠剤、精神安定剤しかなかったため、「薬を早く出すように」と市長に談判した。
当初はガソリンもなく自転車で行けるところまで行くなどの苦労があった。薬を飲めなくなってショック状態になり緊急搬送される利用者が出た。放射性物質が放出されている中、県の職員とも相談して相馬市の調剤薬局の1つに県の薬剤師を派遣してもらうことができた。調理の施設と米の備蓄があったので炊き出しをすることができたのは助かった。

本当に障がい者の役に立つ病院をつくりたい

こうした経過を経て、「困ったときに障がい者の役に立つ病院をつくりたい」「相馬に病院をつくろう」と議論し、その準備を始めている、と村松議員は言います。医療・保健・福祉一体となったアウトリーチ型の支援をしていきたいとのことでした。

こうした取り組みは包括型地域生活支援プログラム(ACT)と言い、「病院や施設、自宅など対象者が生活している場所に出向いて、生活が維持されるようにかかわっていくためのプログラム」(厚生労働省)で、全国から障がい者支援に強く求められ、注目されている施策です。

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福島・浜通り農民連

相馬市の松川浦近くにある旅館・晴風荘で、福島農民連会長、ふくしま復興共同センター所長の亀田俊英さん、三浦さんと懇談しました。

津波被害と放射能汚染で農業ができない

南相馬市は3割が津波被害を受けている。さらに原発から11kmの距離にあり、放射能汚染にも苦しめられている。

(亀田さん)自宅は、津波被害はのがれて家はそのままあるものの、原発から20km圏内の小高区(居住制限区域)にある。避難解除されたものの、昼間しか立ち入りできず、水道も電気も通っておらず、ゴミ収集もないため、ごみも敷地内から出せないという状態で農業再開はできず、現在は農家の相談に乗るなど、農民連の活動を行う日々だ。

(三浦さん)自宅と農地は原発から15kmのところにあり、津波の被害を受け田んぼもだめに。以前のように水田を買って農業をやるには8千万円から1億円は必要。
農水交渉や東電交渉を普通にやっていたら助けてもらえない。国は支援する形は一応つくったが、条件がいろいろあって、結局認めてもらえないことが多い。

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帰りたいけど帰りたくない―複雑な思い

小高地区は海岸線は津波被害に、山間部は放射能被害とどちらも困難な実状。住民は戻りたい気持ちはあるが戻れる状況ではない。その気持ちを「帰りたい、帰りたくない、どうする?」と、住民が表現している。
「ふるさとに帰りたい」という思いはみんな持ってる。でも、その「ふるさと」とは、農業を営み、周りに今までどおりのコミュニティがあり、以前生活していたままの暮らしのことだ。

「私の80歳を過ぎている母親もずっ『家に戻りたい』と言っていたが、日中に家に帰ってみるたびに『ここで生活はできない』と言うようになった。いまの小高区はこういう実態だ」と話す亀田さん。
子育て世代は「もう浜通りでは子育てはできない」といい、一方で高齢者は「ここで暮らしたい」といい、家族のなかでもケンカや離婚もおこっている。糖尿病の薬が避難中に手に入らず、腎不全でなくなった方など事故後の避難で命を落とされた人もたくさんいる。先が見えず精神的に病んでいる人も増えている。先日、「原発事故の放射能で死んだ人はいない」(7月16日、名古屋市での意見聴取会)などと中部電力が言ったそうだが、とんでもない。放射能、原発での死は山ほどある、と亀田さんも三浦さんも怒りを交えて話されました。

農民をつなぐ、原発をなくす

寄せられた支援などをもとに、屋根に太陽光パネルも設置した、農民連の直売カフェ「野馬土」を12月にオープンする。
プレオープンイベントでは全国の農民連からの農産物を揃えた。それは福島県民には「原発事故で被ばくしたうえ、これ以上の内部被ばくはしたくない」という強い思いがあるからだ。農民連食品分析センターはゲルマニウム半導体分析器をもっている。福島の農産物はしっかり測定して安全と分かってもらって買ってもらうことが大事という立場で、農民連は取り組んでいる。
未来は見えないが、今は目の前のできることを一つ一つやっていくしかない。この『野馬土』に農民連の事務所を置く。ここをよりどころに、被災した農民をつなげていく活動をしていく。
そしてなにより、こういう思いをさせた原発をなくしていくことだし、そのためにも自然エネルギーを普及させていくことだ。日本から原発をなくすためにたたかっていきたい。

懇談を終えて

農民にとって、農業ができない、生産活動ができない―これがどんなに辛いことか。改めて放射能被害の深刻さ、東京電力と政府に大きな怒りを覚えました。また、それでも、前を向いて頑張ろうとする亀田さんたちの姿に、大いに励まされるとともに、今後、できる限りの支援を継続していくことが、必要だと感じました。